ニューモンブラン
この文章は、私が営業をやっていた頃、会社の社内報に載せた文章です。会社でも評判が良かった文章なので、ここで新たに復活させようと思います。写 真、絵も当時の社内報に載せたものです。
 

 なんだかやたらと気になる喫茶店だった。「コーヒーセット200円(ケーキ付き)」。外の看板にはそう書かれている。今どきこんな破格の値段でケーキとコーヒーを出す喫茶店があるのだろうか。
 その店の名はニューモンブラン。東武東上線の上板橋駅前に存在する。仕事の関係上しばしばその前を通 っている。その道を通り続けて1年程になるのだが、ずっと気になっていたのに、なかなか入ることができずにいた。
 その店は喫茶店でありながら、何か人を寄せつけない異様なオーラを発していた。怪しいもの好きの私でも、足を踏み入れるにはなぜかためらいを感じていた。見た感じはケーキ屋さんに喫茶店が付いている、という体裁のよくある普通 の店である。だが、いつ覗いても客が一人もいないのである。私も何度も「今日こそは入ってみよう」と思うのだが、いざ店の前に立つとどうしてもひるんでしまうのだ。どうも「入りたくなくなる空気」が漂っているのである。
 そんな感じで1年が過ぎようとしていたある日。いつもの様にニューモンブランの店内を覗いてみた。するとおばさん3人がお茶を飲んでいたのである。それを見て、私は急に勇気が湧いてきた。「今日こそはいける!」そう確信した。そして営業活動を無事すませた後、期待と不安を胸に抱きながら再びニューモンブランへ向かった。店の前に立ち、中を見るともうおばさん達はいなかった。一瞬またひるみそうになったが、勇気を出して自動ドアの前に立った。
 ドアが開いた瞬間「しまった!」と思った。臭いが異様なのである。ケーキ屋だというのに甘い、美味しそうな匂いは全くしなくて、カビたような古臭い、何ともいえない臭いが漂っているのである。しかし、もう引き返すことはできない。私は席に座り、店内を見回した。店長の手書きらしい、妙なくせのある文字で書かれた数々のメニューが貼ってある。その中の一つに「ケーキセット380円」というのがあった。380円?200円じゃないの?。それとも「ケーキセット」と「コーヒーセット」は別 なのだろうか。
 と思いをめぐらしていると、年の頃は45位のよくいるおやじ風、ではあるが何処か独特のオーラを放つ店長が水を持ってやってきた。私は「コーヒーセット」を注文した。待つ間、改めて店内を見回してみる。「カラオケ1曲200円」という貼紙が貼ってある。見ると昔のカセット式のカラオケがほこりにまみれて置いてあった。店内のショーケースの中のケーキを見ると、「250円」と表示してある。セットのケーキはもっと安いケーキが出てくるのだろうか。
 さて、いよいよ待望の「コーヒーセット」が運ばれてきた。目の前に出されたケーキ。それはどう見てもあのショーケースに並べられている250円のケーキだった。やはり200円というのは嘘なのだろうか。一方のアイスコーヒーは、ビールをつぐような小さいコップに入れられ、そのコップには長すぎるストローがさしてあった。なんだ、小さいな。いや、小さいのはいい。飲んでみてびっくりした。「これ麦茶?」と思った。一応コーヒーではある様子ではあるが、薄すぎるのかコーヒーの味が全くしないのだ。
 それにしても落ち着かない雰囲気だった。音楽も無くシンとしていて、しかも異様な臭いのする店で異様な店長のおやじと二人きりなのである。ケーキの味はまあ普通 に美味しかったのだと思うが、とにかく落ち着かなくて、ひたすら口につめこんでいたので味わっている余裕がなかった。
 途中、一人の客が店に入ってきた。それを見て少しホッとしたのだが、その人もやはりドアが開いた瞬間「しまった!」と思ったのだろうか、困惑した表情をしていた。それでも一応「デコレーションケーキありますか?」とビクビクしながら聞いていたが、「お時間いただければ」と言われ、「じゃあいいです」と言って逃げるように去って行ってしまった。
 私はもう、いてもたってもいられず、食べ終わるやいなや席を立ち、精算をお願いした。一体いくら請求されるのだろうかとドキドキしていると、「200円です」と店長。すごい。やはり200円だったのだ。100円硬貨2枚を差し出すと、店長はそれを受け取りレジの上に置いてあった皿の中にチャリーンと入れた。おいおい、レジは何の為にあるんだ?
 それからかなり経つが、あれ以来ニューモンブランに再び足を踏み入れることはできずにいる。



(その後のニューモンブラン)